大分岐:ステーブルコインがデジタル資産の展望を再構築し、ビットコインの未来を再定義する
本レポートでは、デジタル資産市場における根本的な構造変化を分析します。ステーブルコインの普及はビットコインの陳腐化ではなく、デジタル資産市場の機能的分岐を加速させています。この分岐により、ステーブルコインとCBDCが主導する効率的な取引・決済レイヤーと、ビットコインが確立しつつある非主権的な価値保存レイヤーという、明確に異なる二つの階層が生まれています。
ビットコインの進化:「P2P電子キャッシュ」から「デジタルゴールド」へ
ビットコインは当初、「P2P電子キャッシュシステム」として構想されました。しかし、その技術的現実は、このビジョンからの転換を余儀なくさせました。ビットコインネットワークは、取引需要の増加に伴い、固定されたブロックサイズと約10分間のブロック生成時間という設計上の制約から、深刻なスケーラビリティ問題に直面しました。
取引の検証に数時間かかることもあり、取引手数料も高騰しました。この結果、コーヒー一杯の購入のような日常的な少額決済には非実用的となりました。
日常決済の非実用性
取引の検証に時間がかかり、手数料も高騰したため、少額決済には適さなくなりました。
ナラティブの転換
技術的限界により、「交換媒体(MoE)」から「価値の保存(SoV)」へとナラティブが転換しました。
デジタルゴールドの誕生
希少性と分散型で検閲耐性のある性質により、物理的な金(ゴールド)との類似性を示すようになりました。
米国財務省によっても認識されているように、ビットコインの主要なユースケースは分散型金融(DeFi)の世界における「価値の保存手段」であり、「デジタルゴールド」として機能しています。米連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長も、そのボラティリティを指摘しつつ、金と同様の特性を持つと認めています。
ビットコインの「失敗」が「成功」を導いた逆説
ビットコインの希少性は、ストック(累積発行量)とフロー(新規供給量)の比率を示すストック・フロー比率によって定量的に測定でき、この指標によれば金よりも希少性が高いとされます。さらに、物理的な制約を持つ金とは対照的に、ビットコインは数十億ドル相当の価値をUSBドライブ一つに保存したり、数分で世界中に送金したりできるなど、携帯性と送金性において圧倒的な優位性を持ちます。
「ビットコインは単なるお金ではなく、信頼のプラットフォーム、管理システムになることを拒否する貨幣システムである」
—アンドレアス・アントノプロス
ここで重要なのは、ビットコインが「現金」として機能しなかったことが、逆説的に「金」としての成功の前提条件となったという点です。グローバルな決済処理能力を確保できなかった技術的欠点が、デジタル資産エコシステム内に機能的な空白を生み出しました。
市場は、決済や取引のために安定し、効率的な資産を必要としていました。この空白こそが、ビットコインが解決できなかったボラティリティとスケーラビリティの問題を解決するために設計されたステーブルコインにとって、絶好の市場適合性を生み出すことになりました。取引というユースケースをステーブルコインに委譲することで、ビットコインはプロトコルが最も得意とすること、すなわち予測可能で希少性の高い、主権的な金融資産を提供することに特化することができたのです。
ステーブルコインの台頭:実用性と安定性の追求
ステーブルコインは、ビットコインのような暗号資産の主要な欠点である極端な価格変動に対処するために設計されました。米ドルのような安定資産に価値を連動させる(ペッグする)ことで、信頼性の高い商取引、決済、清算に必要な安定性を提供します。
架け橋としての役割
伝統的な金融システム(TradFi)と暗号資産経済(DeFi)との間の重要な架け橋として機能。ブロックチェーン技術の利点と法定通貨の親しみやすさや信頼性を融合させています。
哲学的妥協
ビットコインのトラストレス(信頼不要)で分散型の性質に対し、法定通貨担保型ステーブルコインは本質的に中央集権的で信頼ベースのシステムであり、哲学的な妥協が見られます。
実用性の優先
ステーブルコインの成功は、マスマーケットが哲学的な純粋さ(絶対的な分散化)よりも実用的な効用(価格の安定性)を優先することを示しています。
安定性の分類学:各モデルのリスクと耐性
ステーブルコインは、その価格安定メカニズムによって主に以下のモデルに分類されます。それぞれのモデルには固有のリスクと特徴があります。
1
法定通貨担保型
米ドルなどの法定通貨や短期国債といった現金同等物を1:1の比率で準備金として保有します。USDTやUSDCが代表例です。
2
暗号資産担保型
ビットコインやイーサリアムなどの他の暗号資産を担保とします。担保資産の価格変動を吸収するため、発行額を上回る過剰担保が一般的です。DAIが代表例です。
3
アルゴリズム型(無担保型)
物理的な担保を持たず、アルゴリズムによって供給量を調整し、価格の安定を図ります。かつてのTerraUSD(UST)がこのモデルでした。
4
コモディティ型
金などの現物資産を担保とします。PAX Gold(PAXG)やジパングコイン(ZPG)が例として挙げられます。
これらのモデルが内包するリスクは、過去の危機的状況によって浮き彫りになりました。Terra/USTの崩壊(2022年5月)は、アルゴリズム型モデルの構造的脆弱性を露呈させました。大規模な売り圧力に直面した際、ペッグを維持するためのアルゴリズム自体が、関連トークン(LUNA)の供給量を急増させ価格を暴落させる「デススパイラル」を引き起こし、システム全体の崩壊を加速させました。
SVB破綻時のUSDCディペッグ(2023年3月)は、完全に準備金に裏付けられた法定通貨担保型でさえもリスクと無縁ではないことを示しました。USDCの準備金の一部がシリコンバレー銀行(SVB)に預けられていたため、同行の破綻は準備金へのアクセス懸念を引き起こし、一時的なディペッグ(価格乖離)を招きました。
ステーブルコイン普及の原動力:多角的な実用性
決済と価値移転の革命
ステーブルコインは、高額な手数料、遅い決済時間(通常1〜3営業日)、限られたアクセス性といった問題を抱える従来の国際送金(例:SWIFT)を根本的に破壊する可能性を秘めています。24時間365日、ほぼリアルタイムの決済を、ごくわずかなコストで実現します。
分散型金融(DeFi)のバックボーン
ステーブルコインは、DeFiエコシステムの共通言語として機能しています。貸付、借入、取引において安定した会計単位を提供し、利用者をビットコインやイーサリアムのような資産のボラティリティから保護します。UniswapやCurveといった分散型取引所(DEX)では、流動性プールの中心的な資産となっています。
不安定な経済における安全な避難先
ステーブルコイン普及の最も強力な原動力の一つは、新興国におけるハイパーインフレや通貨安に対するヘッジ手段としての利用です。アルゼンチン、トルコ、ナイジェリアのような国々の市民にとって、ドルペッグのステーブルコインは、資本規制を回避し、安定した価値の保存手段へアクセスする方法を提供しています。
世界銀行のデータによれば、国際送金の平均コストは6%を超えるのに対し、効率的なブロックチェーン上のステーブルコイン取引手数料は1セント未満になることもあります。
これらのユースケースは、ブロックチェーン技術のマスアダプションを牽引しているのが、イデオロギーではなく実用性であることを示しています。ビットコインの初期の採用は、分散化や国家による通貨管理への挑戦といった思想に大きく動機付けられていました。しかし、ステーブルコインの普及を支えているのは、より低い手数料、より速い決済、安定した通貨(米ドル)へのアクセス、そして利回りの機会といった、極めて実利的な理由です。
市場支配率の再評価:ビットコインとステーブルコインの関係
ビットコイン・ドミナンス(BTCD)は、暗号資産市場全体の時価総額に占めるビットコインの時価総額の割合を示す指標です。歴史的に、BTCDの低下は、アルトコインへの資金流入が活発化する「アルトシーズン」の到来を示唆してきました。
しかし、USDTやUSDCといったステーブルコインの時価総額の爆発的な増加は、BTCDという指標を人為的に押し下げるという重大な影響を及ぼしています。BTCDの計算式の分母である市場全体の時価総額が、投機的ではない実用性重視の資産によって膨張するため、ビットコインの絶対的な価値やネットワークの安全性が向上していても、その相対的なシェアは自然と低下します。

データによれば、ビットコインとUSDT、USDCを合わせると、暗号資産市場全体の時価総額の70%以上を占めており、これらの少数の資産がいかに支配的であるかがわかります。
Binanceのような取引所におけるステーブルコイン残高の急増は、他の資産への資本投下の前触れと見なされることもあります。
この現状は、ビットコイン・ドミナンスがビットコインの健全性を測る指標として陳腐化しつつあることを示唆しています。BTCDという指標は、暗号資産市場が主に投機的な資産の集合体であり、それらが投資家の資金を奪い合っていた時代に作られました。しかし、ステーブルコインはビットコインの投機的な競争相手ではなく、株式市場における証券口座の待機資金(キャッシュ)に近い、機能的なインフラです。
共生関係の分析:ゲートウェイおよび安全な避難港としてのステーブルコイン
ステーブルコインがビットコインと競合するのか、それとも補完するのかという問いに対し、分析は後者の側面がはるかに強いことを示しています。「決済」という狭い領域では競合関係にあるものの、より広い役割においては極めて補完的な関係にあります。
ビットコイン
長期的な価値保存手段として機能し、ステーブルコインから恩恵を受ける
  • 流動性の向上
  • 市場参加者の増加
  • アクセスの容易さ
共通利益
相互に強化し合う関係性
  • エコシステム全体の成長
  • 伝統的金融との統合
  • 規制の明確化
ステーブルコイン
ビットコインエコシステムへの参入障壁を下げる
  • 効率的なオンランプ
  • 安全な避難港
  • 取引ペアの提供
ステーブルコインは、ほぼすべての取引所において、ビットコインを取引するための主要な流動性ペアを提供しています。法定通貨の資本が暗号資産エコシステムに流入するための最も効率的な「オンランプ」であり、伝統的な銀行口座に戻すことなく利益を確定するための最も効率的な「オフランプ」として機能しています。
規制の要請:新たな金融資産に対するグローバルな枠組み
金融安定理事会(FSB)が提唱し、世界中の規制当局が採用している「同じ活動、同じリスク、同じ規制」という中核原則は、規制の方向性を示しています。この原則は、規制当局がブロックチェーンという技術の先にある経済的機能(決済、価値保存など)に焦点を当て、銀行、電子マネー発行者、マネー・マーケット・ファンド(MMF)に適用されるのと類似した規則を適用しようとしていることを意味します。
日本:改正資金決済法
日本は、2023年6月1日に施行された改正資金決済法により、世界に先駆けて包括的な枠組みを導入しました。この法律は、ステーブルコインを「電子決済手段」と定義し、その発行を銀行、信託会社、資金移動業者といった免許を持つ事業者に限定しています。また、「電子決済手段等取引業者」という新たな仲介業者のライセンス制度を創設しています。
米国:GENIUS法
「Guiding and Establishing National Innovation for US Stablecoins (GENIUS) Act」は、ステーブルコインを規制する初の連邦レベルの主要法案です。同法は「決済ステーブルコイン」を定義し、その発行を銀行子会社や連邦・州レベルで認可された発行者に限定します。最も重要な点として、現金や短期米国債などの高品質な流動資産による1:1の準備金を義務付けています。
欧州連合:MiCA
暗号資産市場規制(MiCA)は、EU加盟国全体で統一された規制の枠組みを構築するものです。MiCAはステーブルコインを「資産参照トークン(ART)」と「電子マネートークン(EMT)」に分類し、発行者に対して厳格な認可、ガバナンス、準備金管理要件を課しています。特に大規模なステーブルコインは、より厳しい監督と高い自己資本要件に直面します。
規制は、発行者にとってコンプライアンスコストを増加させる一方で、主流の金融市場や機関投資家の参入に不可欠な法的明確性と消費者保護を提供します。これにより、ステーブルコインは信頼される金融インフラとして正当性を獲得します。しかし、特定可能な発行者、分別管理された準備金、AML/KYCコンプライアンスといった規制要件は、本質的に中央集権的な法定通貨担保型モデルを優遇します。これは、DAIのような分散型ステーブルコインにとっては大きな課題となり、この分野のイノベーションを阻害する可能性があります。
通貨の未来:共存、競争、あるいは収斂か
世界の中央銀行の90%以上がCBDCの検討を進めており、デジタル通貨の領域における国家の関与は急速に現実のものとなりつつあります。中国はデジタル人民元(e-CNY)の先進的なパイロット運用を実施し、欧州中央銀行(ECB)はデジタルユーロの準備段階に入っています。一方、日本銀行は実証実験段階にあり、現時点で発行計画はないものの、将来の環境変化に備えるという慎重な姿勢を示しています。
非主権ベースレイヤー(ビットコイン)
究極の「デジタルゴールド」として機能。グローバルで中立的、かつ分散型の価値保存手段および準備資産として、他の二つのレイヤーにおけるシステミックリスクに対するヘッジの役割を担います。
民間・商業レイヤー(ステーブルコイン)
グローバルな国際商業、B2B決済、そしてDeFiやWeb3イノベーションの基盤インフラとして中心的な役割を果たします。規制され、伝統的な金融システムと統合されます。
主権レイヤー(CBDC)
国内のリテール決済と金融政策の実行において支配的な役割を担います。プライバシーは限定的で、より管理された通貨となる可能性があります。
結論として、ステーブルコインの普及はビットコインの意義の減衰を意味しません。むしろそれは、デジタル資産エコシステムが洗練された多層的なシステムへと成熟する過程を示すものです。取引需要を吸収することで、ステーブルコインは、ビットコインが世界初にして最も重要な非主権的価値保存手段という、他に代えがたい独自の役割を完全に担うことを可能にします。未来は、代替ではなく、機能的な専門分化と複雑な共存の時代なのです。
デジタル資産市場の未来展望
デジタル資産市場は、現在明確な機能的分岐の段階に入っています。この発展過程で、それぞれの資産クラスが独自の役割と位置づけを確立しつつあります。
1
2024-2025年:規制の確立期
主要国・地域での規制枠組みが整備され、ステーブルコインに対する法的明確性が向上します。機関投資家のステーブルコイン市場への参入が加速し、市場規模は倍増すると予測されます。同時に、ビットコインは機関投資家のポートフォリオにおけるデジタル金(デジタルゴールド)としての地位を固めていくでしょう。
2
2026-2028年:CBDCの本格展開
主要国のCBDCが実用化され、小売・決済領域での競争が激化します。ステーブルコインは国際送金や商取引、DeFiなど特定領域での強みを発揮し、CBDCと差別化されたエコシステムを形成していくと考えられます。ビットコインは非主権的価値保存手段としての役割を一層強化するでしょう。
3
2029年以降:多層的エコシステムの成熟
三層構造(ビットコイン、ステーブルコイン、CBDC)が明確に確立し、それぞれが特化した役割を担う成熟した金融エコシステムが形成されます。伝統的金融システムとの統合が進み、ブロックチェーン技術を基盤とした新たな金融サービスが普及するでしょう。
この多層的なデジタル通貨エコシステムの発展は、グローバル金融システムに根本的な変革をもたらす可能性があります。特に、国際送金や国境を越えた商取引の分野での効率化は、世界経済の統合と包摂的な金融アクセスを促進するでしょう。また、金融政策の実行や監視における中央銀行の能力も強化されると考えられます。
投資家や企業は、この変化する環境に適応するため、各資産クラスの特性と役割を理解し、戦略的なポジショニングを検討することが重要です。デジタル資産市場は、代替ではなく共存と専門分化の方向に進化していくことを認識し、それぞれの強みを活かした戦略が求められています。